なごやのおばあちゃん

父方の祖母が先日亡くなった。89歳だった。

母方の祖父母を亡くしたばかりで、心が動揺している。

ただ、祖父の時は留学をしていたタイミングで葬儀にも参列できなかったため、最後のお別れを告げられたのは、よかった。


幼少期は夏休みに必ず名古屋に行った。

名古屋の夏は暑い。総じて名古屋のイメージは私の中で真夏である。

空が広くて入道雲がもくもくしている。

おばあちゃんの家に行く途中に牛舎があって、子供の私には絶えかねない匂いだった。


7〜8年くらい前に認知症が発症してしまい、私の父のことすらわからなくなってしまった。

ちょうどその時、私はアメリカに留学し、帰国後は舞台の仕事で忙しくなり、間もなくコロナが流行る。

自然と名古屋から足が遠のいてしまった。

コロナが明けてから、一度だけ父と施設を訪問した。

きっと私のことも覚えていないのだろうと思っていたけれど、

あの時、私の顔を見たおばあちゃんは確かに

「よっちゃん」と言った。

おばあちゃんに、私が舞台俳優をしていることを伝えて歌を歌った。

「すごいねえ」と褒めてもらえて、泣きながら笑った。

その再会がおばあちゃんの顔を見る最後になるのだと、なんとなくわかっていて、それも切なかった。


毎年名古屋に行くと祖父に必ず連れて行ってもらう所があった。

新舞子の海だ。

子供の時以来、行ってみた。

祖父母に思いを馳せながら当時の記憶をたどりに浜辺を歩けど、

こんな場所だったような、全然違う場所のような気がした。

もっと広くて大きな砂浜だと記憶していたけれど、

大人になった私が歩くと、海にしてはこじんまりとした場所だった。


告別式の前夜は、私と従兄弟のTちゃんとおばあちゃんの3人で夜を過ごした。

Tちゃんと私は同い年で、女友達のように仲がいい。

子供の時は3人でおばあちゃんと寝たこともあった。

大人になった私たちは仕事のことや将来のことはもちろん、

恋バナもして、多分おばあちゃんも笑っていたし、もしかしたら呆れてもいたかもしれない。

最後の夜を3人で過ごせたことには、おばあちゃんも喜んでいたと思う。


もう一つ、久しぶりの再会があった。

おばあちゃんの眠る棺を見た時、見覚えのある顔があった。

おばあちゃんが作ってくれた、ねこちゃんのお人形だ。

物心がついた時からいつもそばにあった、ねこちゃんのお人形は

ある時を境にして見なくなり、

最近も実家を隅々まで探しても見つからなかった。

一体、どこにいるんだろうなあと考えていたら、おばあちゃんと一緒に眠っていてびっくりした。

「これ、私の!」と家族に言い、お式が始まる直前にいただいた。

確か、いつの日かねこちゃんの首が切れてしまって、おばあちゃんに修理に出していたのだ。

受け取るのを忘れてそのまま名古屋にいたようだ。

棺の中には他にも、おばあちゃんお手製のお人形がたくさんいて、

どれもプロ級に上手かった。

ねこちゃんのお人形と一緒に、青いねこちゃんもいただいた。

今では私の家のピアノ台で私を見守ってくれている。


死というのは不思議だ。

人は生まれてから必ず死に向かって歩いているのに、

いざ死を目の前にすると、とても怖いものに思える。

いつか私の両親も、私の愛する人たちも、私も、

おばあちゃんと同じように死ぬのはわかっているが、

その日のことを考えると

怖くて寂しくて堪らない。

必ず終わりが来るのだから、今を精一杯生きなさい。

そうやって、おばあちゃんに教わった気がした。

よしひさ

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