あの日から数日が経ち
ようやく心が整理できてきたので
この記事を書いてます。
先日、母方の祖父母が他界した。
私は仕事柄
生きるとこ・死にゆくこと・人生について語ることが多いが
実際に、肉親に”その時”がきた時
あまりにもショッキングな出来事で
数日間、空っぽなまま過ごしていた。
人生観が大きく変わった気がする。
小さい頃には年末年始に家族で泊まりで行き
中学に上がってからは学校が近かったので
1人でも泊まったりもした。
私の初めての仕事である
テーマパークでの仕事にも観に来てくれた。
いつの日か、疲れてしまうからと
劇場には足を運べなくなってしまったが
会うたびに仕事のことや生活のことを気にかけてくれる
優しい2人だった。
コロナが流行し始めて
気軽に会えなくなってしまった。
最後に2人に会ったのはいつだろう。
もっと会ってれば
無理してでも会いに行ってれば
そんな思いが湧いて出てきて
悔やみきれない。
祖父は靴職人で、社交的で、好きなことにトコトン突き進む、かっこいい人だった。
祖母はお家にお邪魔すると、ご飯を沢山出してくれて
おいしいねって言うと、どんどん料理が出てきて
本当にお腹いっぱいって言うまでエンドレスにおかわりを出してくれる人だった。
命日が一緒の2人
よほど仲が良かった2人だったんだろう。
私の母は編み物の講師として活動していて
彼女もまた好きなことに真っ直ぐ生きている人だ。
そして私も大好きな演劇に人生を捧げている。
祖父母はこの世から旅立ったが
確実に私たちの中に生きている。
棺に入った二人はまるで眠っているようで
とっても綺麗なお顔をしてた。
母が編んだセーターとベストを着せてあげたから
道中は寒くないはず。
祖父は亡くなる前日に入居予定の施設で
福田こうへいさんの『ふるさと山河』を歌ったようだ。
私は演歌はあまり聴かないけども、練習してみようと思う。
祖母の財布には私の小さい頃の写真が入っていたようだ。
なんで最後まで泣かせてくれるんだろう。
形見である小銭入れ、とっても綺麗で持っていると祖母が近くにいてくれているような気がする。

人は生きている限り
死に向かって歩き続けているし
その日がいつなのか誰にもわからない。
だから私はこれからも
大好きな人に沢山出逢って
愛して愛されて
大好きな演劇を沢山やって
沢山のありがとうを伝えたい。
今、私が生きているこの時は奇跡の連続ということに
気づかせてくれてありがとう。
私は、二人の孫で本当に良かった。
おじいちゃん、おばあちゃん
本当にありがとう。
ゆっくり、休んでね。
よしひさ
寂しいね。、
ずっとぐぴの中にいてくださるね。
ぐぴの活躍をそばてニコニコ見守ってくださっているね。
うん。寂しくない。
これからはどんなときもひとりじゃない。
素敵な小銭入れ。愛が近くに。
ご冥福をお祈りいたします。